そもそも、整理という行為そのもの(見た目の美しさのみ)が目的化してしまい、生産性向上やアウトプットにつながらないのであれば、外的整理をすることにさして意味はありません
齋藤孝の 知の整理力
齋藤孝
資料や集めた情報はきちんと整理してまとめておくべきだと考えていました。
だからこそノートにまとめたりして時間をかけていました。
ただ本書では整理が目的になっているのではないか?と問いかけてきます。
整理するために整理することは目的が変わってきてしまっています。
あくまでも本にある知識をいつでも使えるようにしておくこと思い出せるようにしておくことが目的であるのなら必ずしもノートにまとめる必要はないし、覚えておく必要もないのです。
使いたい時に調べられたり思い出せるようにしておけばいい。
そういう意味では本自体がノートであると考えていればOKなのです。
本自体がまとまったノートであると考えればわざわざ書き出さなくてもいいんです。
ノートの書いてあるものを他のノートに写す必要なんてないんです。
そもそも知識を使えるようにすることが大事なのであって綺麗なノートや情報をただ並べ替えて整理することは本来の読書の目的ではないはずです。
知識は理解し使えるようになってこそ意味があるのです。
だからこそまとめている余裕があるのならば実際に使ってみてそして記憶して行けばいいのです。
読書は知性を身につけるうえでもちろん重要な方法ですが、仮に本の内容をすべて忘れてしまったとしても心配はいりません。 読書によって鍛えられた思考方法は頭に残り、それが知性を鍛える源になる
齋藤孝の 知の整理力
齋藤孝
知識や読んだ本の内容は覚えていないと意味がないという意見も多くあります。
それに対し本書では忘れてしまっても構わないと述べています。
仮に知識を忘れてしまってもその際に利用した思考法や鍛えられた思考法は再利用することも可能だしそれによって成長すること自体がプラスであると述べられています。
確かに知識を身につけその言葉を使えるようになることもプラスであると思います。
書いてあることを覚えていてその知識を生かして生活することもノウハウ本であれば有効でしょう。
しかし現代のように流れが早い時代においては思考法を学んでおければ仮に知識が陳腐化したとしても自分にとって役立つものになるでしょう。
現代においては誰でもいつでもすぐにあらゆることを調べることが可能です。
そんな時代には知識はあまり重要ではありません。
では何が一番大事かというと考え方とか歴史や他人の経験から学ぶ思考法だと思います。
こんな状況に陥った時昔の人はどのように乗り越えたのか?どのように解決したのか?自分なりに解釈し身につけておけば似た状況に陥った時役に立つでしょう。
読書体験を通じて自分が何を身につけたいのか?を考えながら読書はすべきだと改めて感じました。
そして考えていこうと思いました。