若者が叩かれがちなのは、実は「羨ましい」からじゃない?

最近「Z世代は…」なんて言葉で語られる場面をよく見かけます。
効率ばかり気にしているとか、すぐ辞めるとか、指示待ちだとか。
なんだか悪い意味で一括りにされていることが多い。

でも僕は、まったく逆の印象を持っています。

「常識」に疑問を持つのは、当たり前の感性だと思う

Z世代は、これからの社会をつくっていく人たち。
だとしたら、これまでのやり方に疑問を持って当然です。

「本当にこの働き方でいいの?」
「上司に言われたからって、それが正しいの?」
「それって、誰のためのルールなの?」
こうした問いを立てられる若者がいることに、僕はむしろ希望を感じているし、
これからも旧来の“なんとなく続いてきた常識”を壊していってほしいと思っています。

むしろ、すごく真面目で、よく考えている

実際に若い世代と話してみると、印象がまったく違います。

「やるならちゃんとやりたい」
「理由が分からないことはやりたくない」
「今後のことを考えて、それに向けて動きたい」
そんなふうに、誠実に・真剣に・自分の人生と向き合っている人が多い。
ただ、情報が多すぎて、何を選んでいいか分からないだけ。
無駄な努力をしたくないから、動けなくなってしまうこともある。

でも、この道で大丈夫だと思えたら、ちゃんと動ける。努力できる。

素直だからこそ、腹落ちすれば変われる

若い人たちは、とても素直です。

ただ、「とりあえずやってみて」と言われても、納得できなければ動かない。
上司だから、先輩だから、というだけでは、自分の頭で考えることをやめない。

でも逆に言えば、ちゃんと説明すればちゃんと理解しようとするし、納得すればきちんと行動に移す。
その姿勢は、むしろ僕たち大人が学ぶべきものかもしれません。

判断ミスがあったとしても、「自分で考えていた」なら、それは価値がある

もちろん、若いうちは判断を間違えることもある。
でも、それは当たり前のことです。

僕が20代の頃なんて、自分の適正も分からないままがむしゃらに働いて、
ようやく30歳近くになって「なんとなく輪郭が見えてきた」程度でした。

でも今の若い人たちは、もっと早い段階で、ちゃんと自分で考えている。
所属している会社のこともよく見ていて、
「この人の働き方は、自分の目指すものとズレてないか」と静かに判断している。

若者は、僕たちが思っている以上に“ちゃんとしてる”

若い世代が叩かれるのは、本当は“自分にはできなかったことを、もうやってのけている”からじゃないでしょうか。

ちゃんと考えている。ちゃんと迷っている。ちゃんと生きようとしている。
だからこそ、羨ましさと向き合いきれない人たちの一部が、否定という形で反応しているように思えてならないのです。

僕は、若い人たちが選んでくれるなら、5年後でも10年後でも、一緒に働けたらいいなと思っています。
「育てる」なんて大げさな気持ちはないけれど、
迷っている人のそばに、安心して迷っていられる場所があったらいいなと。

そしてその先に、自分で考え、自分で選んだ道を歩いていく人が1人でも増えたら、
それはきっと、社会にとっても良いことなんじゃないかと思っています。

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